廻灯籠とは走馬灯(回転して影絵を映す灯籠)の別名。正確には回灯籠。人が死ぬ間際には、今までの人生が走馬灯のように頭に浮かぶと言われる。廻灯籠は重い過去に縛られているので、過去の人生を振り返りながら生きる点から名前として採用した。ま、辞書で「走馬灯の別名って回灯籠っていうのか。面白そうだなー」というのがそもそもの発端なので、この辺はややコジツケ。
ネーミングの際は言葉の「響き」にこだわっている。発音しやすい母音は「ア」(だと思う)。だから「藁掴」「河流」「廻灯籠」の3人とも「わら(WARA)」「かわ(KAWA)」「まわ(MAWA)」というように、母音を「ア」でそろえている(これはコジツケじゃないよ)。そもそもルビがなきゃ読めないような名前をつけといて、発音しやすさも何もないけど。
オカッパにしたのは作者の趣味。服装が白いのは、明鏡止水の服が黒いから、対比させたかった。天道出身と地獄出身の違いを服装の色で表したかったのもある。
ラストを書く上で一番迷ったのが、この廻灯籠の扱い。特に、河流と再会させるかどうか。なるべくハッピーエンドにしたいのだが、それは彼女の性格からして不自然ではないか? 彼女の苦しみはそんなに簡単に解決できるのか? などとあれこれ思い悩んだ結果、彼女は沼に沈むことになった。「竜華三会経典」という彼女の力は、阿弥陀如来の「無量光」と並んで作品世界で最も危険な兵器である。だからこそ、彼女は沈まなければならない、と思った。作品全体のテーマを一貫させると、どうしてもこういうラストに成らざるを得ない、というのが作者の結論。皆さんはどう思う?
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